世の中安穏なれ。
- 田原 伴行

- 2022年5月21日
- 読了時間: 3分

こんばんは(*´−`*)
今日は難しいくて、とても
考えさせられてます。笑
どういう事なのか。
自分の中では答えが見えそうなのだけど
果たしてそれは本当に「答え」なのだろうか
という・・・
迷い?(●´ー`●)汗
なんなん。わからんやん。笑
いや、分かってるんだけど!!(*`д´*) 笑
みたいな感覚なので。
これを見てくれた方は、
良かったら一度、これから書くことを
見てください。そして改めて俺と一緒に
ゴールが複数ある道の上を歩きましょう笑笑
自分の中で、自分のルールってあるよね。
そして自分ルールは自分を律するものであったり、自分を奮い立たせるものであったり色々な考えや行動の基盤になっていると思う。
そして、その自分ルールって人も一緒かというと
それは絶対違うから、一人一人それぞれが
オリジナルのルールがあるという事は
理解しているし、だから自分のルールが
絶対やからーって
人に押し付けたら駄目なのも分かってる。
だけど、社会に出て数年、常識とか、
マナーとか、気づかいとか、そゆふな事って
諸先輩方に教えてもらえたり、時には本を読んで
習ったり、日々失敗したり、学んだりしてきた。
この経験値、そして習慣、決まり事とか。
広すぎるからそれらをまとめて「正義」と
言い換えるね。その正義が自分の中にあるとして。
さっき書いた自分ルールと、この正義は
俺の中で別もんの感覚で書いてるつもり
なのだけど、皆んなにも伝わってるかな。アハ
なんというたらいいかな?w
一人称ではなくて
二人称でもなくて三人称?
個人ではなくて、組織とか、地域とか、国とか。
そのね、自分の正義の中にある平和、常識、節度、など。
その正義を求める心が、平和や常識を願うがたまに行動してしまうと、新しい抑圧を創り出す。
常識とは。
平和とは。
これらは世の中の全ての人が合致するのか。
否、世の中と考えるより、もっと小さな世界で考えてみて。
、家族、友達、学校、会社、、。
これらの組織の全員が、
その正義さえ違うということ。
自分の知ってる常識、習ってきた平和。
これを保証するために、
或る人々や組織を犠牲にしてもいいって事になる。人には底知れない我執の欲がある以上、かならずそうなってしまうのかなぁと。
常識を考えろ!!
節度を守れ!!
わきまえろ!!
こんな事、言ったこともあるし、
言われたこともある。
その常識が、人によって違うということ。
平和とか常識とかは、常に場所、関係、時間などで変わっていくものなのかなぁ。となると
ほら、答えが答えでなくなるでしょ。
そうならないために、どうするのか。
共に生きていることの
深さを知らないといけない。
自分の考えを水面として、
相手や複数の人の考えを水の底だとして。
その真ん中?を知るということなのかな。
そこに行きつくために何ができるかな。
あらゆる人々の中にこのような向き合いが
広まっていく事が正解なのかなぁ。とか。。
世のなかが安らぎに満ちたもので穏やかであって
ほしいと思います。そして、誰もが共に生きることの深さを受け止めて、真ん中が正解なのかはわからないけれど、そこを求めることが望ましいのか。それとも自分という水面から水の底を覗いて、真ん中より底に潜っていく姿勢を保つべきなのか。
でも結局こういうことを教えてくれてきたのは
社会に出て体験したり、学生の時分に道徳として
学び身につけてきたことですよね。
それが自分の中にあるから、個は世界がないと生きれないし、世界も個がないと存在しないという
不思議な感覚がずーっと続いていきます。
姿勢が大事だと思うの。
与えるか奪うか。
僕の行動は与えられているのか、奪ってしまっているのか。
与えてばかりなのか、奪ってばかりなのか。
与えれてたらいいな。これも正義なのかと思うと
まだまだ勉強が要りますね。笑
与え与えられが良いのかなとちょっと思う。
まだまだ学びの日々です。
写真は、先日の膠にて、
一発目にいただいたポテサラを一口だけパクっと
いって、あかん!写真!
と思って撮ったものです。
最後までお読みいただきありがとうございました。





コメント